9.愛は、止まることを知らない

関係性は、何か完結したもの、終わったもの、閉じているものを意味する。
愛が関係性であったことはない、愛は関わることだ。それは常に、流れ、終わることのない河だ。
愛は、完全に止まることを知らない。蜜月が始まり、しかし、けして終わることはない。
それはまるである地点で始まりながら、けして終わることのない物語のようだ。それは進行し続ける現象だ。
恋人たちは終わる、愛はつづく。それは連続体だ。それは動詞であり、名詞ではない。
では、なぜ私たちは関わることの美を関係性へと引き降ろしてしますのだろう?なぜ私たちはそんなに急ぐのだろう?
―なぜなら、関わることは不安だからだ。そして、関係性は安全だからだ。関係性には、確実さがある。
関わることは、二人の見知らぬ同士の出会いだ。たぶん、一夜だけともに過ごし、朝にはさようならを言うことになるかもしれない。明日何が起こるか、誰にわかるだろう?
そして、私たちはそれをとても恐れ、それを確かなものにしようとする。それを予測可能なものにしたいと思う。明日という日を、私たちのアイデアに沿ったものにしたい。それがそれ自身の表現をする自由を許すことができない。それで、即座にすべての動詞を名詞へと引き降ろす。

女性と、あるいは男性と恋に落ちると、あなたは即座に結婚することを考え始める。それを法的な契約にする。どうしたら、法律が愛になるのかね? 法律が愛になる、なぜなら、そこには愛がないからだ。それはただの幻想で、そしてあなたは幻想は消えるものだと知っている。それが消えてしまう前に落ち着くのだ、それが消えてしまう前に、別れることが不可能になるように、何かをするのだ。

より瞑想的な人々とともにある、地球の上にもう少し光明の広まったよりよい世界では、人々は愛するだろう、とてもとても愛するだろう、しかし、彼らの愛は関わることにとどまり、関係性ではない。
そして、私は彼らの愛がひと時だけのものだろうとは言わない。あなたの愛より、彼らの愛が深くいく可能性が大いにある、親密さの優れた質、より詩的であり、神がその中に在るような質が、もっとそこにはある。そこには彼らの愛があなた方のいういわゆる関係性が終わるよりもずっと長くあり続けるだろうあらゆる可能性がある。
しかし、それは法律、法廷、警察官によって保障されたりはしない。保障は内的なものだ。それはハートからのコミットメントだろう、それは静かなコミュニオン(交感)だろう。
もしあなたが誰かといることを楽しむなら、あなたはそれをもっともっと楽しみたくなるだろう。もしあなたが親密さを楽しんでいるなら、その親密さをもっともっと探求したくなるだろう。

そして、長い親密さの後にだけ咲くような愛の花がいくつかある。陽の光のもとで、6週間だけ咲くような、季節の花々もある。しかし、6週間のうちに、彼らは永遠に去ってゆく。咲くまでに数年を要する花がある、また、咲くまでに長い年月を必要とする花もある。それが長い時間を経るほど、それはより深く行く。

しかし、それはひとつのハートからもうひとつのハートへのコミットメントでなくてはならない。それは言葉にすらされえない、なぜなら、言葉にすることで、それは汚されてしまうからだ。
それは沈黙の中でのコミットメントでなくてはならない。目から目への、ハートからハートへの、存在から存在への。それは理解されなくてはならない、言葉によってではなく。
結婚するために協会や裁判所に行く人々を見るのはとても醜い。それはとても醜い、非人間的だ。
それはただ、彼らがお互いを信頼していないことを表している、彼らは自分自身の内なる声よりも、警察官を信頼しているのだ。それは彼らが自分たちの愛を信頼せず、法を信頼していることを示している。

The Book of Wisdom, Vol 1

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