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10.恐怖は問題ではない
これが第一のことだ。恐怖は、愛のもうひとつの側面だ。もしあなたが愛の中にいたら、恐怖は消える。もし愛の中にいなければ、恐怖がやってくる、とてつもない恐怖が。
恋人たちだけが、恐怖を知らない。愛の深い瞬間にだけ、恐怖は存在しない。
深い愛の瞬間、存在は 私たちの家になる。―あなたは異邦人ではない、あなたはよそ者ではない、あなたは受け容れられている。たった一人の存在によってでも、あなたは受け容れられている、何かが深みにおいて開く ― 実存の一番深いところで、花のような現象が。
あなたは誰かに受け容れられ、価値を見出されたのだ。あなたは貧しくはない。あなたは重要だ、あなたには意味がある。
もしあなたの生に愛がなかったら、あなたは恐れるようになるだろう。どこもかしこも恐怖だらけになるだろう、なぜなら、どこにも友はなく、敵だらけだからだ。そうしたら、存在全体が、宇宙人のように見える。 自分は偶然ここにいるにすぎず、根を持たず、くつろぐ場所がない。
たった一人の人間であっても、愛の中でそれだけの深いくつろぎat-homeness をあなたに与えることができるのだ。それならば、人が祈りに達することができたときには、どれほどのものだろうか?
祈りは、最も高い愛だ。それはトータルさとともにある愛、全体性とともにある愛だ。
そして愛してこなかったものは、祈りに至ることはできない。愛は最初のステップであり、祈りは最後のものだ。
祈りとは、あなたは全体を愛し、全体があなたを愛するということだ。
ただ一人の個人によってそれほど深い開花があなたの内側で起こるのなら、全体があなたを愛していることを感じたときには、どれほどのものだと思うかね?
祈りとは、あなたが神を愛し、神があなたを愛するということだ。そしてもし、愛と祈りがあなたの生にないのなら、そこには恐怖があるだけだ・・
だから本当のところ、恐怖とは、愛の不在のことなのだ。
もしあなたが、恐怖が自分の問題だというのなら、それはあなたが間違った側を見ているのだ、ということを私に教える。
愛が問題であるべきだ、恐怖ではなく。
もし恐怖が問題であるならば、それはあなたが愛を探しているということを示している。もし恐怖が問題であるならば、実際には、その問題はあなたはもっと愛情深くあるべきであり、そうすることで誰かがもっとあなたに対して愛情深くあることができる、ということだ。
あなたはもっと、愛に開いているべきなのだ。
しかし、これは難しい。というのは、恐怖の中にあるとき、あなたは閉じているからだ。
あなたはとても怖いと感じるので、人の向かって動くのをやめてしまう。一人でいたい、と思う。誰かがそこにいるときはいつでも、あなたは神経質になる、なぜなら、他人は敵のように見えるからだ。そしてもしあなたがひどく恐怖にとりつかれていると、それは悪循環だ。愛の不在があなたの中に恐怖を作り出し、そして今、あなたの恐怖のために、他者は閉じてしまう。あなたは窓のない閉じた貝のようになる、誰かが窓を通って入って来でもしたら怖いから、そして、そこら中に敵はいる・・・ドアを開くのを恐れる、ドアを開いたりしたら、どんなことだってありうるからだ。だから、愛があなたのドアをノックしても、あなたは信頼しない。
恐怖に深く根を下ろしている男性や女性は、常に恋に落ちるのを恐れる。なぜなら、そうしたらハートのドアが開き、人が入ってくるだろう。そして、人は敵なのだ。
サルトルは言ったものだ、「他人は地獄だ」。
覚えておきなさい。愛が問題なのだ。恐怖ではない。あなたは間違った側を見ている。あなたは多くの生に渡って間違った側を見ることができるが、それで問題が解決することはないだろう。
不在が問題にされるべきではないということをいつも覚えておきなさい、それについてなされえることは何もないのだから。存在するものだけが、問題とされうる。なぜならそれには何かをすることができるし、解決することができるからだ。
もし恐怖を感じたら、愛が問題なのだ。より愛情深くなりなさい。他の人に、数歩近づいてごらん。なぜなら、誰もが恐怖の中にいる、あなただけではないからだ。
あなたは他の誰かが近づいてきてあなたを愛してくれるのを待っている。あなたは永遠に待つことになるだろう、なぜなら、他の人も恐れているからだ。
そして恐れる人々は、ひとつのことを本当に恐れている。それは拒絶されることだ。
もし私があなたのドアをノックしたら、そこにはあなたに拒まれるかもしれないという可能性がある。その拒絶は傷になるかもしれない、だったら、行かないほうがいい。一人でい続けたほうがマシだ。他の人を巻き込むよりも、自分だけで動いた方がいい、だって人は自分を拒絶するかもしれないから。あなたが近づき、そして愛へのイニシアティブをとるとき、最初の恐怖は相手があなたを受け容れるか拒むかということだ。彼は拒むかもしれない、彼女は拒むかもしれない、という恐怖がそこにはある。
それゆえに、女性は一歩を踏み出さないのだ。彼女たちは、より怖がりだ。彼女たちはいつも男性を待っている。−彼が来るべきだわ、と。彼女たちは、いつも拒んだり受け容れたりする可能性をキープしている。男性よりもより怖がっているので、彼女たちは けして他人にその可能性を渡したりはしない。
多くの女性が、生きている間ずっと、ただ待っている。
誰もあなたのドアをノックしに来ない、なぜなら、恐れる人は、あるやり方で、人をいやにならせるようなやり方で、ひどく閉じているからだ。
ただそばに行っただけで、恐れている人は、そばに行った人が誰でもエネルギーを失ってしまうようなヴァイブレーションをそこら中にふりまく。恐怖に満ちた人が動き始める、ただその動きの中にさえも・・
座っている人、歩いている人・・眺めてごらん。ただ、人をがっかりした気分にする人々がいる。誰であれ、近くに来た人を、彼らは怖がる。そして、恐怖はただ愛と同様に、エネルギーだ。ネガティブなエネルギーだ。愛を感じている人は、ポジティブなエネルギーであふれかえっている。そばに来ると、その磁石があなたをひきつけて、この人といっしょにいたい、とあなたは感じる。
もし恐怖があなたの問題なら、自分の人格について考えてごらん、そして見ていてごらん。
あなたは自分の愛への扉を閉じてきたに違いない、それだけだ。それらのドアを開きなさい。
もちろん、そこには拒絶される可能性もある。しかし、どうして恐れる?人は単にノーと言えるだけだ。50%のノーの可能性がある、だが、たった50%のノーの可能性ゆえに、あなたは愛のない人生を100%選んでいるのだ。可能性はある、だが、どうして悩む?
とても多くの人々がいる。もしひとりがノーと言っても、傷ついた、ととらないように。シンプルに、それは起こらなかったのだ、と受けとりなさい。その人は、自分と動きたいとは感じなかったのだな、とシンプルに受けとりなさい。
あなたたちは、お互いにぴったり合わなかったのだ。違うタイプなのだ。彼や彼女は、実はあなたにノーと言ったのではない。それは個的なものではない。あなたたちはフィットしなかった、前進しなさい、
その人がノーと言ったのはよいことだ、なぜなら、あなたがその人と合っていないのにその人がイエスと言っていたら、そのときこそあなたは本当のトラブルに巻き込まれるからだ。
あなたにはわからない―その人が、生涯にわたるトラブルからあなたを救ってくれたのだということが!
彼、あるいは彼女に感謝しなさい、そして前進しなさい、全部が全部に合うわけにはいかないということだ。すべての個人がとてもユニークなので、実際のところ、あなたにぴったりな人を見つけるのはとても難しい。未来のいつか、よりよい世界では人々はより高い移動性を持つことになるだろう、そうしたら人々は自分にあった男性や女性を見つけに行くことができる。
間違うのを怖がらないでいなさい、もしあなたが間違うことを恐れたら、あなたは全く動けなくなるだろう、そして人生全部を逃してしまうだろうから。
やってみないより、間違うほうがいい。ひとりきりでい続けるよりも、怖がって、どんな行動を起こすこともしないよりも、拒まれるほうがいい― なぜなら、拒絶は、受容の可能性を生み出すからだ。それは受容のもうひとつの側面だ。
もし誰かが拒んだら、誰かが受け容れるだろう。人は動き続け、正しい相手を見つけなければならない。正しい相手にめぐり合ったら、何かのスイッチが入る。彼らはお互いのために創られたのだ。彼らはいっしょにいてぴったりくる。
そこになんの葛藤もないということではない、怒りやけんかの瞬間がないというのではない、そうではない。もし愛が生き生きしたものなら、そこには葛藤もあるだろう。時には怒りの瞬間もあるだろう。それはただ、愛が生きた現象だということを表すものだ。時には悲しみが・・なぜなら、幸せが存在するところにはいつも、悲しみもあるものだからだ。もしあなたが本当に生に動いていったら、そこには怒りもあるだろう。しかしあなたが人を愛したら、あなたは怒りも受け容れる。彼女や彼の悲しみも受け容れる。
時には、またもっと近づくために、離れることもある。実際、そこには深いメカニズムがある。
恋人たちは、何度も何度も恋に落ちるために、けんかをする。そうすることで、彼らは何度も何度も何度も、小さなハネムーンを持つことができる。
愛を恐れずにいなさい。人が恐れるべきことはたったひとつ、それが恐怖だ。
恐怖を恐れ、それ以外の何をも恐れずにいなさい。なぜなら、恐怖は無力にするからだ。それは毒する、それは自分を殺すことだ。
動きなさい!そこから飛び出しなさい!なんであれあなたがしたかったことをしなさい、しかし恐怖といっしょに腰を落ち着けてしまわないことだ、それは否定的な状況だから。
そうしたら、あなたは愛を失うことになる・・・。
私にとっては、愛はそれほど大きな問題ではない、私はあなたよりずっと遠くを見ているからだ。
もしあなたが愛を逃せば、あなたは祈りも逃がすだろう。そして、私にとっては、そのことこそが本当の問題だ。
人は愛を通らなくてはならない。恐怖から、愛へと動きなさい。愛から、あなたは祈りへと動くだろう。そして祈りから、無恐怖が昇ってくる。
愛なしには恐怖があり、愛とともにあれば恐怖はない、そして最終的な無恐怖は、祈りの中にある。そうしたら死さえもがまったく恐怖ではない、なぜならそこには死はないからだ。あなたはとても深く存在と調和している ―どうやったら、恐怖が存在できるだろう?
だから、どうか恐怖にとりつかれないように。ただそこから飛び出して、愛に向かって動きなさい。
そして待たないように、なぜなら誰もあなたに興味を持ちはしないからだ。もしあなたが待っているのなら、あなたはずっと待ち続けるだろう。
これが私の意見だ、あなたは愛を避けてとおることはできない。さもなければ、あなたは自殺することになる。しかし愛があなたを避けて通ることはある、もしあなたが単に待っているだけならばだ。
動きなさい!愛は情熱であるべきだ。情熱的であって、生き生きと、活力に満ちているべきものだ。そうして初めて、あなたはあなたに向かってやってくる誰かをひきつけるだろう。もし死んでいたら、誰があなたを気にかける?死んでいたら、人々はあなたをとりのぞきたいと思うことだろう。死んでいたら、あなたは退屈な現象になる、退屈さそのものに。まわり中に、あなたは退屈さの垢を持ち運んでいる。
そうしたら、あなたに出会った人は誰も、その出会いを不運に感じてしまうだろう。
愛と活力に満ちて、恐れずに―、そして、動きなさい。
あなたが恐れなければ、あなたに与えるものを生はたくさん持っている。そして愛は、生にもまして、あなたに与えうるたくさんのものを持っている。なぜなら、愛はこの生の真の中心であり、その真の中心から、あなたは彼岸に渡ってゆくことが可能だからだ。
私はこれらを3つの階段と呼ぶ。生、愛、そして光だ。
生はすでにそこにある。
愛はあなたが至らなくてはならないものだ。あなたはそれを逃すこともありうる、なぜならそれは与えられるものではないからだ。
人はそれを創造しなければならない。生は与えられた現象だ。あなたはすでに生きている。そこで自然な進化は止まってしまう。
愛は、あなたが見出さなければならない。もちろんそこには危険や冒険がある、しかし、それらはすべてが愛を美しくする。
あなたは愛を見つけなければならない、そして愛を見つけることができたら、初めてあなたは光を見出すことができる。そうして、祈りが昇ってくる。
本当のところ、深い愛の中で、人は、恋人たちは、だんだんと、無意識に、祈りへと動き始める。なぜなら、愛の最も深い瞬間は、祈りの一番低い瞬間だからだ。その境界のすぐそばに、祈りがある。
だから、恐怖にあまり注意を払いすぎないようにしなさい。なぜなら、それは危険だからだ。もしあなたがあまりにも注意を払いすぎたなら、あなたはそれに餌をやっていることになる。そうしたら、それは育つ。恐怖に背を向けて、愛に向かって動きなさい。
Yoga, The Science of the Soul, Vol 11
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